11年前の4月、ぎんこい 市場は松山市銀天街3丁目、最後の店舗の真向かいにオープンしました。当時の商工会議所会頭をはじめ、店舗オーナーから当社での利用を切望いただき、さて、何をやろうかと思い悩んでいた時に、向井京子さんをはじめとする生産者グループのみなさんとの出会いがありました。愛媛県中予地区の生産者であるみなさんは商店街での産直市運営を目指すもなかなか定着が得られず、という状況の中でこの空き店舗の利用をめぐって当社と鉢合わせました。僕は一瞬で「一緒にできればいいな」と閃きました。でも生産者の皆さんはせっかく見つけた好機を訳のわからない背広族に取られてなるものかと交戦ムードいっぱいだったことを覚えています。かくして、愛媛県中予地方局、松山市も巻き込んでぎんこい 市場オープンしました。ささやかな店舗の装飾と103インチのディスプレイを設置したのが当社のやったことで、向井さんをはじめとする生産者のみなさんのご苦労で予想外の反響もいただくことができました。オープニングには松山市長(現愛媛県知事)にもお越しいただき、「商店街の空き店舗活用はこれがいいじゃない」とまでおっしゃっていただきました。
相応のにぎわいも創出することができ、我々も手応えを感じていました。「・商店街の空き店舗を活用しにぎわいを作ることができる稀有なケース」「・近年になって居住人口(主に高齢者)を取り戻した中心地における生鮮の提供がリアルな買い物支援につながる。」など社会的な意義を感じました。同時に賑わいができると、動産価値が向上し、より好条件での賃貸話が出て、短期間での転居も余儀なくされました。11年の間に3つの店舗を転々としました。最後の店舗となった銀天街L字角が最も長くはなりましたが。せっかく定着したお客様の利便性を考え転居のたびに向井店長は悔しそうにしてました。
その間には様々なパートナーとの出会いや思考錯誤もありました。特に2店舗目であった銀天街4丁目の店舗は2階にはパソコン教室があったり、店舗内にギャラリーを設置したり。我が業界や、先進性を好む観点からするともっともアグレッシブな時代であったと言えます。同時に向井店長にとっては最も悩んだ時代ではなかったかと思います。来店されるお客様のニーズと試行策との間に大きなギャップがありました。新しいよりも心地の良さ、クールであることよりも暖かなコミニュケーション、それは、通信事業の領域が拡大され競争市場の中でついついお客様のニーズとかけ離れがちになってしまう当社の事業精神にも大きな影響を与えてくれました。「わかりやすく」や「サポート第一」といったポリシーはここで培われました。ぎんこいがなければおよそ、お客様を置き去りにした遠いところで競合他社としのぎを削ることに必死になってるだけだったでしょう。現在のような独自路線でしっかりと結果を出すこともかなわなかったでしょう。
最後の店舗になったL字店は最も面積も小さく、また運営も最もシンプルになりました。結局、最も長続きする店舗になった秘訣はこの辺にあったように思います。向井店長がお客様から学んだように我々はぎんこい市場からさまざまなことを学びました。合理的よりも無駄を積み上げることの強さ、個々のお客様に深く関わることの大切さ、これらはケーブルテレビにとって最も大事なポイントです。僕らはぎんこいに関わることで他の局よりもこのことを強く心に刻めたことが最も大きなメリットだったと言えます。
ぎんこいを閉店する理由はこれです、というものはないのかもしれません。一つ言えることはここに関わるすべての人が11年を区切りに新しい社会貢献に一歩踏み出す、ということです。より多くの人々に喜んでいただくためにそれぞれの道で新しい試行錯誤に乗り出さねばなりません。ぎんこいで培った精神をしっかりと引き継いで。
最後に、コロナウイルスが想定外の出来事となり、ファイナルを華々しくご挨拶できなかったことが悔やまれます。毎日の生活の糧をぎんこいに求めてご愛顧いただいたお客様におかれましては大変心苦しいのですが、またいつか、ちゃんとご挨拶させていただく機会を作ります。また違った形で「らしさ」を感じていただけるよう心がけていきますのでないとぞご容赦ください。長年、ご愛顧いただきありがとうございました。向井さん、新撰ぐみのみなさん、スタッフのみなさん、ぎんこいを支えていただいたすべての関係者に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。またいつか。